燃え尽き症候群を考える

             by 松田仁美
 自宅の子供プールが、私の水泳のスタートでした
 両親が営む床屋の店先で、赤の水玉ビキニを着せてもらい、お湯と水で作ったビニールプールがそれでした。あひるやら仮面ライダーやらを浮かべては、戦わせていました。男の子のように。
 毎年暑くなると、子供たちが公園のじゃぶじゃぶ池で遊ぶ姿を眺めながら、ふつふつと 「自分も遊びたいなぁ」 とついむきになっていました。

 そんな私が競泳を選ぶのは自然なことでした。
 両親が営む床屋からスイミングクラブに行き、近くの銭湯で牛乳を飲み、自宅に帰るという贅沢なプール生活が始まったのです。
 そんな私は着々と育成コースを進み、毎日泳がせてあげるの一言で、選手生活へと移行しました。
 小学1年生になったときです。帽子の色がかわり、大会に参加して優勝等を狙う選手向けの表が渡されました。気付くといつの間にかJOの制限タイムを切り、日本選手権にも出場し、学童記録をだして表彰台に登り、憧れのお姉さん選手と話をするようになり、雑誌でも取り上げられるようになっていました。
 ここまでは泳ぐことが楽しくて、続けていたのです。



 ところが、私の楽しみは、いつの間にか多くの欲望や夢に彩られるようになり、自分の希望が両親やコーチ、仲間の夢となりました。毎日プールの時間が来るのを今かいまかと待っていた少女時代に抱いていた 「五輪選手と同じスピードで泳ぎたい」 という、純粋な気持ちは、いつしか 「速く泳げないとだめ」 に変わってしまいました。

 私は高校生の時にピークを向かえ、さらに残念なことに五輪の間にそのピークが入ってしまいました。多くのコーチは 「まだできる」 「もっと頑張れ」 と現役続行を熱望し、尽力してくださったのですが、私自身は水泳のみの生活に心が疲れてしまったのです。そして、心が外の世界に向いてしまいました。

 海外の選手と話をするなかで見つけた考え方や価値観の違い。日本文化の独自性。就職に向けた資格習得。大学で新たに出会った仲間たち。
 彼らが発する言葉が、私にはとても新鮮で、話を聞いてみたい、もっと知りたいと感じるようになっていきました。

 社会人として就職し、体調をくずしたことから再開した水泳ですが、マスターズに復帰したとき、こんなに長く続けるとは思っていませんでした。
 現在も進行中ですから、すでに現役時代を過ごした11年より長い時間を経ています。

 そんな私ですが、現役引退を決めたとき、そして今でも、時々水泳が嫌になります。なぜそう思うのだろうかと振り返ると、いくつかの共通点が見つかりました。

 まず、体が動かなくなったときです。
 これは毎回そう思うので、常日頃から故障や痛みが出にくい体作りを心がけています。坐骨神経痛による腰痛がそれです。再発してしまうと、何をしても絶望的になります。すると、過去に痛みを押してトレーニングしていた頃の孤独感やタイムがでないときの絶望感、コーチにフォームを見てもらえない疎外感など、多くの悲しい思い出がよぎり始めます。

 次に興味が薄くなってきたときです。
 水泳以外にもやはり魅力的な遊びや運動は存在しており、「たまには違うことをしたい」 と思うのです。
 通常はすぐ水泳に戻るのですが、なかなか戻れないときもあります。

 私にとっての水泳は、水泳仲間と技術の話やトレーニングの話をすることのようです。今出ているタイムよりもっとうまく泳いで速くなりたいという切磋琢磨のための情報交換ができなくなったり、考えることや感じることに行き詰まってしまうと、辞めたいと感じるようです。

 多くの人は自分のために水泳をしていると信じているでしょうが、実はプラスアルファの力も大きいと、私は考えています。
 それは、仲間が喜んでくれるその笑顔だったり、悔しがってくれるその表情だったりを楽しみにしているということ。自分だけのために頑張るというのは、時としてすべての行動の矛先が自分を向いてしまうため辛くなってしまうこともあります。
 そんなときトレーニング仲間が頑張る様子を目のあたりにしたり、「もっとできるよ」 とちょっとしたアドバイスを貰えたり、ささいな日常のひとこまの中に気づきや閃きを見いだしたりすると、とたんに心が変化するのです。
 探し物をするときと同じように、これだろう、ここだろうと、同じ方向、同じ見方ばかりしていると、考え方が固く頑固になってしまいます。「こうでなければならない」 「こうしなくてはダメ」 と感じながら泳いでいても、水泳の女神様はなかなか微笑んでくれません。

 こうしたら、どういう風になるのだろうか?
 こういう見方はどうだろうか?
 興味を持って答えを探すこと、出来なかったことを出来るようにする過程で工夫すること。これが大きな楽しみであり、これを共にする仲間に囲まれていれば、より多くのヒントをもらえたり、より大きな喜びに出逢えます。
 泳ぐことが嫌いにならない限り水泳はいつでもできます。

 心に正直に向き合いましょう。

 自分に問いかけると、燃え付き症候群の問題は視野が狭くなってしいるときや、目先の優勝やタイムにばかりに心がいってしまっているとき、本来水のなかで体を動かしていたあの楽しさをがんじがらめに縛って息苦しくなっているときのように思えます。

 目標を見つけるためには、水泳を楽しむことが大切です。
 目標ありきで努力するより、楽しんで泳いでいたら不思議とうまくなっていた。
 これから自分の水泳は、そんな必死になって遊ぶ水泳でいきます。


Home